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Khong Say Khong Ve. ベトナムの意味なし画像集

左右盲と左利きと両利き

このようなことが話題になっていて、こういう「右と左という言葉が実方向と直感的瞬間的に結びつかない」ような人を俗に「左右盲」というらしい。 実は自分も長らくそうで、それは左利きを右利きに矯正された人がなりやすいようなのだ。

それで、自分も中途半端に右利きに矯正されたクチでもあるのだ。鉛筆だけは右にさせられたのだ。 それも字を書く時だけ。同じ鉛筆でも絵を描くときは左という変則パターン。

そういう風に生活しているうちに字というのは定形の絵であるので、右でも左でも両方で文字が書けるようになった。 用途に応じて左右を使い分ける人をクロスドミナンスと言うらしい。 今でもノート見開きで左側ページは左手、右側ページは右手で書いたりする。どっちでもいい。

絵を描くときは左なのだが、定規を使って線を描く時は右になる。 これは大学での経験の影響でそうなってしまった。 大学では機械の設計を授業でやったりしていたので、ドラフターを使うことが多かったのだ。

このドラフターというモノは、簡単に言うと巨大な定規がついた設計図を描く専用のテーブルで、 定規はレールに固定されていて、それはそれはスムーズに動き、正確な位置に固定できるというスバラシイものなのだ。

少しでも絵心があるならば、この道具自体にハマってしまうはずだ。 自分もハマってしまい、理由もなく図面を描きまくっていた。

しかし、社会は右利きにできている。ドラフターも右利き用に出来ているのである。 定規を左手でオペレーションし、右手で線を引くように出来ているのである。 それを自分は、無理矢理使っていたので、なにか定規は左ということになってしまった。

という感じで、右とも左ともない両利きになっているのだ。 右利きの人は思いっきり右に寄っていて、左利きの人は、思いっきり左ではなく、中央よりやや左ぐらいになっている気がする。 なので、左利きの人は両利きになりやすいのだと思う。 その代償として左右がわからなくなってくるのだと。

上下を間違える人は居ない。それは重力が常に下を指し示しているからだ。 ということは右利きの人は、重力がかかっているが如く、右側を認識できているということなのか・・・ これは「赤外線が見える・・・何色に?」みたいな自分にはよくわからない感覚である。

右利きでも左右盲な人がいるらしいが、多分その人は、中央寄りの右利きなのだろう。 そういう人は左を練習すれば比較的容易に両利きになれるはずだ。

「右」と「左」という漢字がそもそも紛らわしい、「右」じゃなくて「式」と「左」にすればいいじゃないか。とも思う。 親が言うには昔、鏡文字みたいに左右が逆転している文字をよく書いたらしい。これも左利きと関係しているのか?

他にも、Webサイトとかで写真の下に説明があるような場合で、

右から、Aさん、Bさん、Cさん

みたいなものがあるが、これも非常に違和感がある。右からなのに左から書いてるから。 文書としては別に完全対応していて問題は無いのだが、空間上は捻れている。これ変だと思っている人少なくないと思うんだが、よくある。

ベトナム語では右を「phai」左を「trai」と表現する。ファーイ、チャーイ と読む。 そしてやっぱり、このファイチャイを日本語同様に間違えるのだ。

そんなのちょっと思った。