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Khong Say Khong Ve. ベトナムの意味なし画像集

なぜ日本にいるアメリカ人はかなりの割合でエディーマーフィーでありジムキャリーなのか?

なぜ日本にいるアメリカ人はかなりの割合でエディーマーフィーでありジムキャリーなのかと思ったことは無いだろうか? フレンドリーでオーバーアクション、声がデカくて、ニコニコ、わかりやすいジョークでゲラゲラみたいな。 アメリカ人って全員そういう傾向の人たちなのと思ってたが、自分が「ガイジン」として海外に住んでみると、このエディー・マーフィナイズされるの理由がなんとなくわかってきた。

自分はベトナムに住んでいるのであるが、当然ながら言葉は通じない。 ベトナム語の難易度は発音が言語の中でも最高難度で、こっちが喋ってもまず通じないし、相手の言ってることは数字ぐらいしかわからない。 これは 慣れるとかで解決する問題ではなく、意識的にガチ勉強しないとわかるようにならないと思われる。 というかガチ勉強してもわかるようになるか通じるのかは怪しいレベルの難しさなのである。

海外に出るということは、自分が日本で積み上げてきたものをゼロにして後ろ盾無しで行くということだ。 それは全世界的な価値、英語や、金、とかそれぞれの仕事スキルというモノはあるだろうが、飲み屋に行けば裸一貫の「ニホンジン」として対処されるすることになる。

このようなほぼ言葉の通じない(込み入った概念の意思疎通が難しい)状況におかれたとき、やっぱり自分が怪しいやつじゃないと思われてはマズイと人間は本能的に思うようだ。 そのせいか、外国に住んでるとほぼ誰に対しても愛想よくなる。挨拶の声も異常にデカくなる。 言葉が通じないのでボディーランゲージや表情が大げさになってくる。 感情を表す言葉は状況と完全マッチすることが多いので「ヤッホー」みたいに感情の起伏の表出と共に現地語で叫んだりするようになる。 このような言葉は別に相手に通じなくてもよい一方通行のモノなので、使っとけという感じになる。

こういう傾向は別にベトナム人相手だけでなく、日本人同士でもそうなる。 とにかく海外に居ると現地の知り合いがメチャクチャ増える。 日本では全然知り合わないような関係性のところから普通に知り合ったりするし、 日本ではどうかよくわからない同士がいつのまにか付き合ってて、いつのまにか結婚したりするのだ。

つまり、自国に居る時と全然変わって、言葉が通じない故の、不便な環境ゆえのコミュ力の異常上昇という機会があるのだ。

日本にいるアメリカ人、その他外国の方々もそういう気持ちなのだなと思った。 この謎のテンションがアメリカ人誰もが日本人にエディーマーフィーと思われる要因だろう。