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Khong Say Khong Ve. ベトナムの意味なし画像集

なぜ日本にいるアメリカ人はかなりの割合でエディーマーフィーでありジムキャリーなのか?

なぜ日本にいるアメリカ人はかなりの割合でエディーマーフィーでありジムキャリーなのかと思ったことは無いだろうか? フレンドリーでオーバーアクション、声がデカくて、ニコニコ、わかりやすいジョークでゲラゲラみたいな。 アメリカ人って全員そういう傾向の人たちなのと思ってたが、自分が「ガイジン」として海外に住んでみると、このエディー・マーフィナイズされるの理由がなんとなくわかってきた。

ビバリーヒルズ・コップ2 (字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

自分はベトナムに住んでいるのであるが、当然ながら言葉は通じない。 ベトナム語の難易度は世界の言語の中でも最高難度で、こっちが喋ってもまず通じないし、相手の言ってることは数字ぐらいしかわからない。 これは 慣れるとかで解決する問題ではなく、意識的にガチ勉強しないとわかるようにならないと思われる。

というかガチ勉強してもわかるようになるか通じるのかは怪しいレベルの難しさなのである。

海外に出るということは、自分が日本で積み上げてきたものをゼロにして後ろ盾無しで行くということだ。 それは全世界的な価値、英語や、金、とかそれぞれの仕事スキルというモノはあるだろうが、飲み屋に行けば裸一貫の「ニホンジン」として対処されるすることになる。

このようなほぼ言葉の通じない(込み入った概念の意思疎通が難しい)状況におかれたとき、やっぱり自分が怪しいやつじゃないと思われてはマズイと人間は本能的に思うようだ。 そのせいか、外国に住んでるとほぼ誰に対しても愛想よくなる。挨拶の声も異常にデカくなる。 言葉が通じないのでボディーランゲージや表情が大げさになってくる。 感情を表す言葉は状況と完全マッチすることが多いので「ヤッホー」みたいに感情の起伏の表出と共に現地語で叫んだりするようになる。 このような言葉は別に相手に通じなくてもよい一方通行のモノなので、使っとけという感じになる。

こういう傾向は別にベトナム人相手だけでなく、日本人同士でもそうなる。 とにかく海外に居ると現地の知り合いがメチャクチャ増える。 日本では全然知り合わないような関係性のところから普通に知り合ったりするし、 日本ではどうかよくわからない同士がいつのまにか付き合ってて、いつのまにか結婚したりするのだ。

自国に居る時と全然変わって、言葉が通じない故の、不便な環境故のコミュ力の異常上昇という超サイヤ人への目覚めがあるのだ。

日本にいるアメリカ人、その他外国の方々もそういう気持ちなのだなと思った。 この言葉の通じない海外に居るという環境が「アメリカ人誰もがエディーマーフィー現象」の要因だろう。

AliExpress 珍画像 011 通販サイトから知られざる文化を学ぶ

謎のグッズ

なにやらこういうモノが売っていたので、なんなのかを見てみた。

これ、バレエダンサーがくるくる回る練習をする補助をするために足の下に敷く板のようなのだ。 そんなモノにまで道具がある。世界は広い。

zamad.hatenablog.com

バレエ語辞典: バレエにまつわることばをイラストと豆知識で踊りながら読み解く

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生きてるベトナム語 0001

街中で普通に使われているが、あんまりベトナム語の入門書に載ってないようなベトナム語を写真付きで紹介していけれたらと。

第一回目はコレ

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Bán thẻ cào

カタカナで無理矢理読むなら「バンテーカオ」だろうか。 ※とりあえずカタカナでも表記するが、カタカナ表記のベトナム語を読んだとしてもベトナム人には 1mm も通じないので参考まで。

「Bán」 は「売る」、「thẻ」は「小さい紙きれ」、「cào」は「指先でカリカリと削る(動作)」を意味している。

この写真の看板は 5つ の何かが書かれているが、これはベトナムでの主要な携帯電話業者になる。

この「thẻ cào」という塊は「指先でカリカリする紙切れ」、つまりこれは、あの「スクラッチカード」を意味する。 そして、それが現在のベトナムではこの言葉はさらに専用化していて「携帯電話の料金をチャージするためのカード」を意味することになっている。

ベトナムでは電話を契約するのではなくて、好きな電話に好きな会社の SIM を差し込んで、このカードで料金をチャージして使うという形が一般的である。

ベトナムに住むならこの単語は必須になりますな。

AIRSIM・世界データSIMカード (残高10米ドル)

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ハウ・パー・ヴィラで大興奮2 謎の兵士がおばちゃんをグァーー!

zamad.hatenablog.com

に引き続き、シンガポールの珍スポット、ハウ・パー・ヴィラでの一枚である。

これは何のシーンなのか?なぜこれを作る必要があったのが、まったく謎である。

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うん、兵隊な感じの人がおばちゃんの首を切り飛ばそうというその瞬間である。

しかし、作っている時はスゴイ楽しかったんだろうなというのは感じる。

左右盲と左利きと両利き

このようなことが話題になっていて、こういう「右と左という言葉が実方向と直感的瞬間的に結びつかない」ような人を俗に「左右盲」というらしい。 実は自分も長らくそうで、それは左利きを右利きに矯正された人がなりやすいようなのだ。

それで、自分も中途半端に右利きに矯正されたクチでもあるのだ。鉛筆だけは右にさせられたのだ。 それも字を書く時だけ。同じ鉛筆でも絵を描くときは左という変則パターン。

そういう風に生活しているうちに字というのは定形の絵であるので、右でも左でも両方で文字が書けるようになった。 用途に応じて左右を使い分ける人をクロスドミナンスと言うらしい。 今でもノート見開きで左側ページは左手、右側ページは右手で書いたりする。どっちでもいい。

絵を描くときは左なのだが、定規を使って線を描く時は右になる。 これは大学での経験の影響でそうなってしまった。 大学では機械の設計を授業でやったりしていたので、ドラフターを使うことが多かったのだ。

このドラフターというモノは、簡単に言うと巨大な定規がついた設計図を描く専用のテーブルで、 定規はレールに固定されていて、それはそれはスムーズに動き、正確な位置に固定できるというスバラシイものなのだ。

少しでも絵心があるならば、この道具自体にハマってしまうはずだ。 自分もハマってしまい、理由もなく図面を描きまくっていた。

しかし、社会は右利きにできている。ドラフターも右利き用に出来ているのである。 定規を左手でオペレーションし、右手で線を引くように出来ているのである。 それを自分は、無理矢理使っていたので、なにか定規は左ということになってしまった。

という感じで、右とも左ともない両利きになっているのだ。 右利きの人は思いっきり右に寄っていて、左利きの人は、思いっきり左ではなく、中央よりやや左ぐらいになっている気がする。 なので、左利きの人は両利きになりやすいのだと思う。 その代償として左右がわからなくなってくるのだと。

上下を間違える人は居ない。それは重力が常に下を指し示しているからだ。 ということは右利きの人は、重力がかかっているが如く、右側を認識できているということなのか・・・ これは「赤外線が見える・・・何色に?」みたいな自分にはよくわからない感覚である。

右利きでも左右盲な人がいるらしいが、多分その人は、中央寄りの右利きなのだろう。 そういう人は左を練習すれば比較的容易に両利きになれるはずだ。

「右」と「左」という漢字がそもそも紛らわしい、「右」じゃなくて「式」と「左」にすればいいじゃないか。とも思う。 親が言うには昔、鏡文字みたいに左右が逆転している文字をよく書いたらしい。これも左利きと関係しているのか?

他にも、Webサイトとかで写真の下に説明があるような場合で、

右から、Aさん、Bさん、Cさん

みたいなものがあるが、これも非常に違和感がある。右からなのに左から書いてるから。 文書としては別に完全対応していて問題は無いのだが、空間上は捻れている。これ変だと思っている人少なくないと思うんだが、よくある。

ベトナム語では右を「phai」左を「trai」と表現する。ファーイ、チャーイ と読む。 そしてやっぱり、このファイチャイを日本語同様に間違えるのだ。

そんなのちょっと思った。

文化とはこのように出来上がるのかもしれない、マラッカのシクロ。

シクロというのは、ベトナムでよく見る、自転車に客席がついた、つまり所謂人力車の一種である。 シクロというベトナム語は、おそらく cyclo のベトナム語の音写で、輪から転じて命名されているのだと思われる。 ホーチミン市の街中でも観光客を乗っけて走っているのをよく見かけるものである

Cycle rickshaw - Wikipedia

これは東南アジアではいろんな国で見ることができて、マレーシアのマラッカにもそれはあったのだ。

しかし、ベトナムでよくあるあのあれではなく、色んなモノがいろんな経緯で悪魔合成されて爆誕してしまったんだと思われ。 なぜか、こんなモノになっている。








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どうみてもあの日本のハローキティであり、どうみても、ハローキティ要素ゼロ%のドライバーである客待ちしているマレーシアのおっさんである。

マラッカは歴史的な街で世界遺産的なところなのである。そこに突如として場違いに異物感がものすごいこれらが何台も走っているのである。それもユーロビート的な音楽と共に。 このおっさんだけが異常なのでなく、全部のこのような、ドラえもんやらピカチューやら日本キャラでデコデコになっているのである。

ムラカ - Wikipedia

マラッカはムラカとも呼ぶ。おそらく「ムラカ」が現地読みに近く、マレーシア人と少し話した時はマラッカでは通じずムラカだと通じた。

Wikipedia にも端の方にこの原型のようなものが写っている。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b3/DSCN3458.JPG

おそらくこれが、最初だったのだろう。花で綺麗に愛車を飾る。派手ではなく、なんか素朴でいい感じがする。 しかし、誰かが始めちゃったんだろうね、ジャパニーズゲイシャバンザイを、ジャパニーズハローキティ aka 仕事選びませんを。

そこから競争が始まって、世界遺産そっちのけでオラがマシン対決に発展していったのだろう。 文化ってこういう風に突然流入して、よくわからず吸収されていくもんなんだなと思った。

シクロ [DVD]

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英語を勉強しようと思ったら学習アプリがぶっこんできた。

英語以外の言語を長く使っていると、英語が口から出なくなってくるので、ヤバいなと思いつつ、 アプリでとりあえず英語の復習でもしようかなと思ってインストール。

play.google.com

初級から進めていたらいきなりすごい例文をぶっこんできた。

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ジャイアニズム炸裂。

これ日本語版だけの特典問題なのだろうか?